掛松寺の歴史
弘安9年(1286年)に創建された本寺は、日蓮聖人が一夜を明かした夜長川の霊場です。聖人の4大法難の1つである「小松原法難」の際、御袈裟を掛けたといわれる松が境内にあります。この出来事が由来となって現在の寺号がつけられました。 明応7年の大地震、昭和20年の戦禍による火災で2度も堂宇を尽く消失していますが復興し現在に至ります。本堂に祀られている守護神像(日天子・月天子・明星天子・鬼子母神・七面天女・大黒天)は身延山法主遠沾院日淳上人が開眼主で、この方の筆になる物を信仰すれば金銭には不自由しないと言い伝えられています。
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小松原法難
日蓮聖人の4大法難の1つに数えられる小松原法難(こまつばらほうなん)。これは文永元年(1264年)に安房国東条(現在の千葉県鴨川市)で、日蓮聖人が念仏信仰者に待ち伏せをされて襲撃された事件です。この法難ではお弟子さん数名が死傷するほどだったと伝えられています。 鴨川市近辺には小松原法難に縁起のある寺院がいくつかあり、掛松寺もその一つです。 -
袈裟掛け松
小松原法難で刀傷を負われた日蓮聖人の治療のため、その御袈裟を掛けたといわれる松の木が境内にあります。これが現在の山号と寺号の由来となっています。 -
夜長川
境内裏手に流れる川。小松原法難で九死に一生を得た日蓮聖人は川のほとりに一時避難され夜明けを待ちました。寒さとお傷の痛みから夜が長く感じられた事から夜長川と名付けられています。 -
お綿帽子
日蓮宗では冬の間、日蓮聖人像にお綿帽子を冠せる風習があります。小松原法難でお傷の手当てにお綿帽子の供養があった事、晩年寒さで古傷が痛んだ事などが由来とされています。 -
2度の堂宇消失
明応7年の大地震、昭和20年の戦禍によって2度堂宇を消失していますが、その後復興し現在の本堂となりました。とりわけ、昭和20年に消失後の復興では近隣の廃校を集めて本堂再建に用いたといわれています。そのような地域のみなさまの支えがあって現在へとつながってきました。
現在
鴨川シーワールドでも有名な千葉県鴨川市にある掛松寺は、潮騒が聞こえる海辺の街のお寺です。2022年には樹木葬墓地「鴨川庭苑」を開苑しました。ペット供養をはじめ地域のみなさんの拠り所となるお寺づくりをこれからも目指していきます。